OMAさんこと、ジャズベース奏者、鈴木勲さんのご逝去を今朝知り大変驚いているところです。
即興を追求したいと模索していた駆け出しの頃に(ちょうどまだ海外を拠点にする前、日本を離れる前位の頃に)日本のジャズの金字塔とも言われた鈴木勲さんの大ヒット作、Blow Upという作品を聞いたことでOMA SOUNDを知るきっかけとなりました。どんなジャンルの音楽も興味津々だった当時の私はもちろんのことJazz音楽にも傾倒していたので、OMAさんにも本当にたくさんの音楽のエッセンスを吸収させて頂きました。
鈴木勲さんは1970年代にアート・ブレイキーに見出され渡米。ジャズメッセンジャーズの一員として当時全米は元より欧州全土を公演ツアー。その当時に共演したジャズジャイアンツ達との交流、リアルタイムのエピソードや御自身の音歴史のお話しは掘れば掘るほど無限に出てくるまさにジャズの生き字引という表現相応しいお方でした。
ミュージシャン駆け出しの頃、OMAさんのレッスンを受けさせて頂いた時、とってもユニークなレッスンで次はどんな音が出てくるのだろうと刺激的な時間だったことを思い出します。ピアノとベースのDuoでOMAさんのベースに合わせてとにかく弾き続けていくのですが、ああだこうだと道中のアドバイスを下さる中で、ピアニストではないからピアノは弾けないけどとおっしゃいながらもピアノの鍵盤をパラパラっと一見当てずっぽみたいに打鍵される。でもジャズたるツボを突いた音。OMA SOUND独特のビート、グルーヴ感がたっぷり込められていてなんとも超Coolなサウンドが出来上がる。強烈なOMAさんご自身の個性も含めて私の音人生に大ショックを与えた中の一人として鮮烈な思い出が駆け巡ります。忘れられない大先輩です。
最後にお会いできたのが10年位前のこと。当時、私は一時帰国をしていた時、故郷名古屋に帰省最中でした。名古屋のJazzクラブにOMAさんが演奏でいらしていると知り、久しぶりに訪ねて行ったら、飛び入りで2曲となり。
At LastとWhat a wonderful worldを歌わせてもらった事が懐かしいです。OMAさんはこの時、At Lastをファンク調なリズムにして何展開にも変化するアレンジで浮遊して挑んでいらして、一体これはどこまで行くんだろうというセッションはまたもや大ショックを味わった、音騒ぎな夜だったことを思い出します。写真はその時の久しぶりの音会を祝った時のものです。
OMAさんとの出会いは独創的とは何ぞやという問いを私の音楽にもたらしてくれました。私の音楽の中にそれはこれからも息づいていくことでしょう。本当にありがとうございました。
ジャズゴッドファーザーのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。