生きたい人生を生きる 粋だなあ
笑いたい奴は笑わせておけばいい。
水面下で事は動かせばいいし成り立つのだから。自分がなりたい、やりたい結果はいずれ表面化するのだから。邪魔に構っている暇などない、自分の人生に関係ない。
強気で上等
共感します。
日本語で気が強いという言い回しって、長い間ネガティブで不利な意味として捉えられる場面が多かったのではないでしょうか。英語で強気、意志の強さを表す
Strong-willedは賞賛に値する言葉。自立心を表すポジティブな言葉として個人を重んじる英語圏の社会では尊敬される人格。もっと強く生きていこうよと励まし合える雰囲気さえ醸し出す言葉です。
そもそも気が強いことって本来は生命力の強さを表すはず。人間が生き抜く為に実は必要な尊き言葉。勿体ない解釈が日本で今迄罷り通っていたものだと残念に思えてしまいます。
今年も後半戦に向かい、五十路にいよいよ差し掛かる準備に取り掛かる昨今。私の半世紀はまさに屈せず気の強さ丸出し人生だったと思います。でも、あら不思議。
今日まで結局好きに生きたので悔いなし。時々未練はあり、かな?(笑)
自分への幸福度高く維持できています。満たされ感に包まれています。
周りから危なっかしいと思われたことも承知の上で突き進んでみたり、守りに入らずぬくぬくと飾らず収まらず。前例は聞かない新しい環境へもその都度飛び出しての今があり。でも生きたい人生は誰にでも起こせることですので、私の例なんて大層なことでもなかったりしますけどね。
正当な強気さを持って世界は成り立つのが当たり前の時代に入っていると思うんです。これからの明日って、他がなんと言おうと自分の人生を生きた方がイイと。
あの時こうだったから、今まではこうだったからという固定観念って化石と思わないと、こんな大変化の時代、やっていけないですよね。
ここ数年、この地球上は良いも悪いもいろんなことがあからさまに出尽くしたのは心当たりあることかと。
それはあってないよとか、こうあるべきと示唆されたとしても、自分はこうしたいとあれば、それを貫いた方が断然有利な時代になっているのは明らかです。
言い換えれば、生きたい生き方を
自己責任の中で生きられる時代。
考えて動ける
を良しとした
サバイバルゲームと例えるなら
やらないテはない。
こんなチャンスはこれまでの時代にはなかったのだから
そう生きてみる価値はあるのかも。
秘密基地にて
読書にふける梅雨どき。
今日も自由な時間と空間をこうして持てているのは有難きこと
感謝
感激
感動
雨あられ