Akiko Hori | Composer and Producer

講師紹介

講師 / Akiko Hori

私自身が音楽と過ごしてきた四半世紀を綴ってみました。音楽で培ったキャリアと経験を振り返りながら受講者さまにご提供できる講座内容を紐付けた全七章です。

【第一章】初プロデュース曲誕生のきっかけとなった原点

5歳でクラシックピアノを習い始める。ピアノ教室に通いながら読譜を習い始めた頃から練習の合間は耳で思いついたまま演奏することが徐々に楽しみとなった。宿題のピアノ練習は好きではなかったが思いつきの耳で記憶した音を弾く時間だったらどれだけでも弾いていたい。そんな子供だった。今思えば、即興を遊びながらこの頃に体得していた。

その延長線上で出来上がった人生初めて作った曲が「 春風にのって」。6歳に入って作った曲である。この春風にのっては後の2020年に初のセルフプロデュースしたオリジナル曲 Konosekai (この世界)のモデルとなりました。

これから作曲をしてみたい方へここで質問です。即興演奏をしたり曲を作ることは複雑で難しそうと思っていますか?

そう思っているのであれば先ずは特別音楽講座にある音楽理論講座を受講してみることをお勧めします。

メロディーは鼻歌で簡単に浮かんだりします。でもそれを長い1曲に繋げることとなるとその先に行けないという声をよく聞きます。曲を作ることを目的に必要事項に絞ってフォーカスを当てた音楽理論を身につけると曲を組み立てる様に作ることができる様になってくることに気づくはずです。

必ずそれぞれ皆さんの中に自然に湧き上がる音という感性は既に存在しています。それにプラスしてある程度の座学の知識が身につけばその後の作曲がもっとスムーズにできるようになることでしょう。

ご興味ある方は是非 ✉️ お問い合わせフォームまでご質問・ご依頼下さい。

Akiko Hori - 特別音楽講座

【第二章】尊き音感

名古屋の地元の音高を出て音大に進んだ。学業のカリキュラムで習ったことは基本を身につけて音楽人生のスタート地点にやっと立てたところとも言える。そこから音楽ビジネスに繋げる力とは必ずしも直結するものでもなかったりする。そうやって考えると気が遠くなる様なお話氏とも言えますがそれは否めない事実だったりもする。音楽を職業にして生きていく為にはひたすらに楽しいだけでは成り立たないし学校の成績が良かったからといって社会でうまくいくとも限らない。自分の存在価値を見つけ出すこと。それってとても大切なことなんじゃないかと当時漠然とだが考えていた。

一通りの基本となるクラシック音楽に浸ったその後は、

やりたかった即興演奏の探究に傾倒した。クラシック以外のさまざまな他ジャンルの音楽を貪るように聴いた。ジャズ、ラテン、ブルース、ポップス、ロック、レゲエ。ジャンルやアーティストを問わず自分にとって耳心地の良い曲は全て自分のピアノレパートリーとなった。

音楽というのは歴史上でつながり合っている。音の影響を受け合いながら新しいジャンルが生まれてきた。後に音楽のジャンル分けはされても元を辿ってみれば一つの出発点に繋がる。クラシック音楽からブルースが生まれジャズが生まれラテンやロックが生まれた。でも音楽のアプローチ方法が変化して進化していっただけでそれぞれの引き出しを理解できれば音楽は一つである。音楽は歴史の中で切磋琢磨して積み重なりあった結果の結晶だと思っている。

自分流に即興演奏しながらいろんなジャンルの音楽に影響を受けて弾いているうちに幅広いレパートリーを持つようになった。その頃からホテルバーやレストランでピアノ演奏する依頼が増えていった。

徐々にプロとしての演奏活動が始まって行った。

その当時、ジャンルを問わず弾く女性ピアニストという看板を掲げていると尋ねられたお決まりの質問が 「ピアノ弾き語りもできますよね?」という依頼だった。仕事の依頼を受けて見送るわけにはいかないという欲も手伝ってじゃあチャレンジしてみようということとなった。今思えば、自分自身に対しめちゃくちゃ強引な挑戦だった。でもその当時の言葉で言えばイケイケ精神が結果的に多角的に自分自身を変革させる展開へと導いてくれた。いつの間にかピアノ演奏の際に歌も歌うようになり必然的に迫られる状況の中、ピアノ弾き語り奏者としての新しい自分が誕生していた。新しいページをひとつ開けた瞬間だった。

その後は技術的に必要とされたボイストレーニングに専念しレパートリーを増やすことを繰り返したのは勿論のことだったが歌えないと思い込んでいた思い込みを捨て新しいチャレンジに挑んだことは結果的に良かったと言えるその後の私の人生の展開となった。

それにしても当時、カラオケで歌うことすら避けて生きてきたピアノ一筋な自分が弾き語り奏者として少しの準備期間で成立したショートカットの種明かしをするとすれば、それは絶対音感に助けられたことだと言える。

耳で聞こえた音をピアノでなぞって音にするのか、それとも声でなぞるのか?絶対音感を持って聞こえた音を誘導することは声で表そうともピアノ上で表そうとも楽器という観点で音にするのは共通することであった。この音感があれば聞こえた音やイメージした音を発声する時に音程が取れて歌いやすくなるという種明かしなんです。

因みに絶対音感は特殊能力だと思っている方がよくいらっしゃいますが、大人になってから習得することは実は可能です。後天的に身につける音感を相対音感と呼び、1つの音と別の音がどれくらい離れているかを認識できる能力を身につける訓練をします。

これまでにも講座の受講者さまが後天的に相対音感を身につけることが出来ています。訓練次第でその能力は身につくのです。

でもその為には正しいイヤートレーニングは必要となってきます。

相対音感を身につけるとDAWを行う時にも役立ってきます!音楽制作がもっとスムーズに行える様になります。そんな理由からもDAW受講者さまへはイヤートレーニング講座をDAW講座に加えて短期集中にて別に受けてみることをお勧めしています。相対音感が音階を正確に捉えることができるツールとなってくれるのでDAWの作業の時短ができるようになります。

その他、ピアノは弾けるけど歌いながら弾きたい。歌う自分の声とピアノを合わせるコツを知りたいなど弾き語り講座も受講して頂けます。弾き語りをする時にも相対音感が役に立ってくるんです。耳コピーが出来るようになり音程が取りやすくなるので歌のレベルアップに繋がります。

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【第三章】初めての海外遠征

音楽の演奏する仕事が回り始めた頃、2001年に人生初めて海外からのオファーが舞い込んだ。

こちらから音楽資料を送ってみたところEメールの返信で「あなたを是非起用したいから返事を下さい。」と送られてきた。

イギリスの音楽エージェントにオファーされたのである。

そのエージェントは世界中のホテルへ長期滞在型で演奏するミュージシャンを送り込むのを得意としていた。

エージェントを通してオファーが来た行き先はシンガポールヒルトンホテル。その頃のシンガポールはこれから経済が発展していくと言われていた成長期の真っ只中にあった。

この一連のオファーまでのやり取りはEメールのみでやり取りされた。オファーされて契約書を打った直後に一度だけエージェントと国際電話で会話した。日本であればビジネスは顔を見てその人の人間性がわかった上でないと信用できないという当時の常識は全くなく、合理的な契約があっさりと交わされた。

業務内容の理解力、対応できる力と独創力、即戦力さえ備わっていればビジネスパートナーとして進行できるという定義はこういう業界で長い時間を過ごした後の結果論として今だからこそ理解できることだが、当時からそんな力が自分に既に備わっていたとは到底思えない。そういった素養が少なからずもあった芽を見出し引き上げてくれたエージェントのバイタリティーと洞察力のおかげである。自分の中では背伸びをしたらそこに届いたという例えが浮かぶ様な出来事だった。

最初のオファーは今から20年も前のお話しである。でもこの頃既にインターネットはあって今に繋がるデジタルで取り引きできるビジネスがこうして存在していた。

グローバルに音楽のビジネスチャンスを掴む時に用意しておきたいことや習得したい知識などお困りのことは何でもご相談下さい。特別音楽講座にてメンタリングを行っています。

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さて、お話しの途中でした。旅立つ前日に戻しましょう。

シンガポールへ明日出発という前夜。大惨劇のニュースとして今でも忘れられないニューヨークで起こった911の速報がちょうど荷造りをしていた最中にテレビを眺めてパッと目に入って来た。最初これはSF映画のワンシーンなのか?と目を疑いながら漠然としたことは今でも忘れられない。翌日、行く先々のエアポートでは厳重なテロ警戒と防止の為の対策が急遽設けられ緊張感は一色となっていた。そんな最中で初海外オファーヘ向けて海外へ飛び立つ私にとってはとにかく無事に現地へ渡らせて欲しい。目指すゴールはその一点だけだった。案の定色々な珍道中に見舞われたがなんとかシンガポールの地へ無事到着。

実際に到着したシンガポールは活気に満ち溢れ元気な人々と華やかなエンタメで賑わっていたので直ぐにモチベーションを切り替えて仕事に打ち込むことができた。

日曜日以外は毎晩夕方から午後11時頃までホテルラウンジで演奏。仕事が終わって滞在する上の階の自分の部屋へ。それからまた外の通りに出る。オーチャードロードからタクシーを拾って出かける先は。

他の様々な演奏者を聴く偵察と研修が名目ではあるが、ミュージシャン恒例の肝試し= 「飛び入り」をしに行くためだった。技を磨く絶好のチャンスとも言える課外授業のような気持ちで出かけて行ったことが懐かしい。眠らないシンガポールには深夜を過ぎても夜な夜な生演奏しているホテルのバーが当時は沢山あった。日本のホテルでは考えられない環境だった。

5つ星ホテルであってもジャムセッションや飛び入りの演奏参加を快く受け入れ合う。マネージメント側もミュージシャン達にステージ内容は託していて飛び入りもミュージシャン側の人選を容認しているようだった。大らかなその土地の環境であるがゆえに許された自由な音楽環境はミュージシャンにとって天国みたいな場所だった。

今のデジタル時代にはピンとこないフレーズの言葉となりつつあるが、音楽の技も感性も現場で叩き上げてこそなんぼという洗礼を当時は受けることができた。

、、、とは言っても今の時代にはそぐわない当時の音楽の習得法。

もちろん、この講座を受講して下さる皆さまには効率的に理解できるようわかりやすく整理して音楽のテクニック習得や知識やアイデアの育み方・音楽全般の向上のさせ方などすべてローカライズしてご提供させて頂きます。

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Akiko Hori - 特別音楽講座
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【第四章】指導者として

シンガポールヒルトンホテルとの半年契約を無事終えて、次なる向かった先。更に南下してオーストラリアへ。

オーストラリア・クイーンズランド州の地元公立小学校5校。平日は日替わりで小学生にピアノ演奏指導する仕事に着いた。週末はフリーランスミュージシャンとしてブリスベンからゴールドコーストにかけてホテルのバーやカジノ、クリケットクラブ、ヨットクラブ、ゴルフクラブなどの音楽演奏できる主催地がある場所へ出向き単発でピアノ演奏や弾き語りをする仕事を取る。そんなペースでオーストラリアでの生活が始まった。

小学生にピアノを教えるに当たり日本人である私が越えるべき次なるハードル。それは子供への接し方だった。日本であれば表現豊か過ぎなのではないかというくらいオーバーリアクションな相槌や言葉の言い回し、言葉の選び方が求められた。いかに指導者が子供のやる気時間を盛り立てることができるかというところが良い指導者と評される腕の見せ所となった。ウエスタン文化に育った子供達はとにかく自己主張と自己表現が強い。言い換えれば自己アピールに長けている。4歳児であろうが理論的に抗議が出来て既に自分の意思を持っている子が普通にいた。そしてとにかくよく動く。じっとしていられない。じっと話しを聞く受け身の生徒さんにピアノの前に座って教えるところからスタートしてという日本式な教え方や常識はここでは成立しない。そんな自由な感覚の集中力意識の子供達をいかに飽きさせず笑ってご機嫌に過ごすレッスンへと導いていけるのか?指導者として成長を目指す日々が続いた。

和と洋は静と動という対極的な言葉に置き換えられることがある。オーストラリア人の子供達が動であれば日本人の教育観念は静という例えはここで言いたいことに当てはまっている。

自分を客観視して反省と改善を繰り返す。教え方が板に着くまでは生徒さんとのレッスン風景をビデオに撮影させてもらいピアノ講師派遣先の責任者とそのビデオを視聴しながら各場面で必要な指導法、改善点などを話し合いアドバイスを受ける研修は続いた。これが思っている以上に自分の弱点が赤裸々となり表情豊かにしているつもりのシーンでもフラットな表情や動作が気になった。そこから一つ一つ自分自身を変えて表現していく繰り返しは新しい引き出しを得るきっかけとなった。

オーストラリアには国が設けたピアノグレード( AMEB )やピアノコンペティション( Australian National Eisteddfod )があった。生徒さんがそれによってピアノをもっと好きになってくれることが私にとっても毎年励みになっていった。幸運にも優秀な生徒さんに多く恵まれた。素晴らしい成績を持ち帰ってくることで生徒さんがメキメキと自信をつけて成長していく姿は達成感に包まれる瞬間だった。コンペティションで1位を獲得してくれた生徒さんもいた。でも、音楽は音を楽しむものというスタンスは崩してほしくなかったので結果よりもそこまでに到達するプロセスにフォーカスを置く教育を一番の目標にするよう努めた。

そうこうしながらあっという間にオーストラリアにも慣れ親しみ、ピアノを教える傍らその合間に週末は弾き語り演奏する仕事も維持しボイストレーニングに特に強化的に取り組む時期となった。

呼吸の仕方に重点を置いてしまいやすい発声法。

でも忘れてはならないのがその時に使う筋肉と骨である。

アジア人と西洋人の根本的な骨格の違いに着目点を置いて私の骨格にあった発声法を指導してくれた素晴らしいボイストレーナーと出会えたのがちょうどこの頃であった。このボイストレーナーとの訓練のおかげでロングトーンやミックスボイスとヘッドボイスの使い分けがもっと楽にできる様になった。その結果、筋肉の動きと骨の角度を意識した独自の発声法メソッドを確立する事ができた。

こうした経過を経て自分の音楽に更なるスパイスを振りかける刺激的なオーストラリアでの生活は私に沢山の経験と更なる知識・知恵を与えてくれた。

モチベーションを上げる育成法や 飽きさせずに相手を引き込むコミュニケーション能力。これはピアノを指導する時にだけに役立つ内容ではありません。相手に伝わりやすい方法でコミュニケーションできる人間力を身につけることに繋がります。メンタリング講座にてもっと詳しく内容を受講して頂くことが出来ます。

その他、ここでご紹介した安定した声の発声を保つ為のボイストレーニング講座も行っています。

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【第五章】深まる即興演奏

2011年 マカオのクラウンタワーズホテルからのオファーを受けた。

正確に言えばCity of Dremas ( シティーオブドリームス)というクラウンタワーズホテルを含む三つのホテルや水上劇シアターなど総合レジャー施設を所有する会社から頂けた演奏契約であった。

カジノの収益で国が守られているマカオはホテルの作りも一種独特でホテル内の一角歩けばカジノルームに繋がるというくらいカジノと人々が密に接しあっている環境にあった。眠らない不夜城と言われたマカオには数え切れないくらいのホテルがひしめき合っていた。

当時、オファーを受けたクラウンタワーズホテルのバーはホテル入り口のレセプションに入るとすぐ真横に設置されていた。日中であればカジノの合間やショッピングの合間にハイティーをしに立ち寄るお客様で賑わう。夜になればカジノに繰り出すお客様やカジノに関わるビジネスの商談のミーティングの場として使われたり、観光客がフラッと立ち寄る場所でもあった。

私の演奏スケジュールは午後のハイティーの時間帯から始まった。午後3時からまずピアノソロ演奏をする。ハイティーセットを楽しむお客様の前で中国の伝統的な舞をしながらお茶を注ぐパフォーマーが登場してその横で演奏をしているという毎日だった。贅を尽くされた優雅な午後のひとときをお客様に楽しんでほしいというホテル側の演出であった。

休憩を夕方に挟んだ後は陽が沈んだ頃からバータイムとなる。歌を入れた弾き語りの演奏の始まりだ。夜のネオンと共に街は更に活気が増していく。カジノ時間のゴールデンタイムへ。浮き足立ったオーラ漂う街。そんな一種独特の雰囲気が隣り合わせに漂っていた。

マカオは中国の影響を大きく受けたオリエントな佇まいの部分とポルトガル領であった頃の影響がうまく混じり合っていて歴史深く情緒ある風情が味わえる。でもその反面カジノで毎日毎夜、巨額な大金が動いているという二面性もあった。賭け事に勝った負けたという喜怒哀楽劇がこの街では公式なことであった。

その中で冷静沈着に音楽をライブパフォーマンスするという音楽環境と職場はどんな時でも洞察力を鍛える機会を与えてくれた。

世界中から様々な国の様々なお客様がこの地を訪れる中、印象深く残っているのは常連のお客様となると同じ曲でも訪れるたびに曲想を変えて弾いて欲しいという別バージョンで弾くリクエストが頻繁に来たことだ。即興演奏の時間を更に深める時間となった。

そして忘れてはならない私のここでの任務。それは毎日がフェスティバルの様な主催地でホテルに訪れる人々に音楽で癒しの時間を提供することだった。

色々と弾き方や表現方法に工夫する毎日の演奏時間を過ごす中で変化を無限大につけるピアノ即興演奏はこの期間にかなり構築されたと言っても過言ではない。

今現在DAWを使って作曲する上で色々な音楽の要素を混ぜ合わせるアイデアはこの頃に叩き上げたアレンジ力が活かされているからだと思う。

DAWで作曲する時に即興力を活用してそこから更に実際にDAW作業で生かすことは出来るのだろうか?こうしたご回答はDAW講座でお応えすることができます。

そして癒す音とはただ拍を単純に数えて正しく弾けることだけで表現できるものではありません。聴衆の耳に優しく寄り添う独特の間合い・リズムというものがあります。現在私のオリジナル曲の楽譜はこのWebサイトのオンラインショップで20曲販売されています。是非ダウンロードをして「Akiko Hori オリジナル曲を弾く講座」を受講してみて下さい。楽譜の読譜だけでは読み取れない実際の音楽の間やリズム感をこの講座では受講者さまに体感して頂けます。

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【第六章】船上のピアニスト

海外の主催地をターゲットにしてきた私の音楽人生に更なる大影響を与えることとなったのはその後に訪れた豪華客船での仕事だった。

2014年 米国客船会社カーニバルコーポレーションの傘下にあるプリンセスクルーズよりオファーを受けてサンプリンセスにて初めて演奏公演を半年間行う。

船というのは階級制で部屋当てや行動許容の範囲が決められる。

私はゲストエンターテナーというポジションに位置付けられていたので基本的には乗客側の対応を受ける権利があったがクルー側に分けられるという微妙な位置にいたので部屋はクルー側にありながら収納家具も十分についている一人部屋を提供して頂きお客様が受けられるサービスも受けることができる待遇に恵まれた。そして契約時のエージェントの介入やコミッションの提示もフェアーな額と誤魔化しのないクリーンな取り決めだった。

日本人アーティストとして徹底して外に、海外にオファーを求めた理由はこういう点だ。

日本の音楽業界であれば A-List(芸能人枠やメジャーレーベルからデビューしている枠組のアーティストを指す)のみに与えられる様な待遇でも海外エンタメ界のオファーとなると交渉次第で当時どこのレーベルにも所属していないフリーランスミュージシャンの私でさえもこちらの条件をのんで叶えてくれるという待遇を保証してもらえることが可能であった。

演奏契約する前にまず確認しなければいけないこと。

自分の提示条件をどれだけ相手側が受け入れてくれるのか。この部分は先ず大きな前提となる。主催地へ出向いてそこで長期滞在し生活をしながら演奏するのである。払い戻し可能な経費や保証のリクエストは全て提示すべきことであるし待遇の内容も詳細を伝えて自分が交わしたい契約内容を提示する必要がある。時に、一度の交渉では受諾してくれなかったとしてもである。そこで引き下がってはいけない。根気よく念入りにが勝負の要とも言えた。趣味でもなければボランティアでもない。報酬が発生する一世一代、一期一会のビジネスである。両者にとって納得できる契約事項を交わせることを目指す。当時からマネージャーのいない私にとって海外からのオファーは寝ている虎を起こすかのように想定外の交渉能力をフル回転させることとなった。場数は知識を勝った。回を重ねる度に逞しさを増して行ったように思う。

潤滑に取引することができる能力。自己アピールを適材適所にできる能力は必須だ。

海外音楽業界へ向けてフリーランスアーティストであるあなたがビジネス取引きをしたい時。必要なプレゼンの仕方から書類への対応の仕方、交渉の仕方まで。音楽ビジネスのコンサルティングをメンタリング講座で行っています。

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音楽契約によっては一回の巻が長い演奏契約となることもあった。2015年のサファイアプリンセス乗船の時は10ヶ月間。その後にも2019年のサンプリンセスの世界一周航海の時は4月〜7月までの3ヶ月間を終えて帰国しその翌日からダイアモンドプリンセスに乗り換えて11月末まで更なる5ヶ月間乗船したという長い航海であった。

長い期間の航海の時によく弾き語り奏者やシンガーの間で話題になったお題はどうやって声の調子を長い期間、継続して維持できるかという点だった。一晩3〜4回のステージ(各40分、時に1時間)を毎晩こなしてそれが5ヶ月間ノンストップで続くということは普通にあった。喉にとっては過酷な環境だとしても幸いにも独自で開発した筋肉と骨の角度にフォーカスを置いたボイストレーニングメソッドを使うことによって喉を潰すことなくポリープもできることもなく毎晩休むことなく歌い続ける事ができた。

このボイストレーニング方法ももちろん✉️お問い合わせフォームまでご質問・ご依頼をお待ちしております。

2014年にサンプリンセスに初乗船して以来2019年までサファイアプリンセスとダイアモンドプリンセスに乗船する機会に恵まれ、乗船公演の演奏契約をこなして行った。

その間に旅した国は30ヵ国。そして60ヵ国にも及ぶ国からの乗船客とクルー達との素晴らしき出逢いは感動的な瞬間の連続であった。

旅と音楽がテーマの音楽キャリアのハイライトの時間であった。

【第七章】日本産イタリア発

2019年11月 長い航海と船上公演を繰り返す船上のピアニストのキャリアに終止符を打った。演奏家としてこれまで数え切れない生演奏の場で生み出した音の記憶をこれからは録音をしてもっと音を膨らませてオリジナル音楽作品として残していこう!そんな長年の夢を実現させたくて次なる展開を求めて音楽スタジオを開設した。

音楽制作に取り掛かり始めた。

2020年1月にApple社 Logic Pro X の公式教則本の筆者 David Nahmaniによる4日間のLogic Pro X Workshop を受講する為に渡米。

帰国後、本格的に音楽制作に取り組む。

2020年5月1日 初のセルフプロデュースによるオリジナルシングル Konosekai を各配信会社よりリリースする。

同年、5月29日 オリジナル20曲を収録したアルバム  Shonan Twilight をリリース。

2021年 1月 イタリア·ミラノのINRI Classic レーベルと10年間のメジャーレーベル契約を締結。日本人としては初のINRI Classic レーベル所属アーティストに抜擢される。

【 INRI Classic レーベル 】—————————————–

イタリアではネオクラシック音楽の革新と発展を見通した新たなプロジェクトを推進させる為、ワーナーミュージックイタリーとイタリアの老舗音楽プロダクション事務所 • METATRON グループにより 2016年デジタルコラボレーションの一環としてINRI Classic レーベルを設立。ネオクラシック音楽アーティストにとって登竜門ともいえるレーベルとして飛躍的に成長を遂げている。

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2021年4月23日には INRI Classic レーベルよりオリジナルシングル My World をリリースしその後もリリース予定曲が目白押しな2021年。休むことなく音楽制作に取り組んでいる。

そんな現役アーティストの講師が特別音楽講座を開いています。

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International piano day