日本人が長い歴史に培った美徳観念について。

元気をなくした今の日本だからこそ、改めてこれについて考え直す。

課題は山積みで瀬戸際とも取れる現実の今。

少なからず前置きしておきたいのは、日本人の良さに拠点を当てずとも、地球上には素晴らしい民族が歴史を刻んできたわけで、素晴らしい多種多様な人々に私は沢山出会えてきたし、そういう一期一会の中で成長と進歩を見出せたことに感謝している。よって、日本人だけを一括りに特別扱いするつもりの内容を言っているのではない。

民族など関係なく当たり前のこととして善人もいれば悪人もこの世には存在している。

ただ、現代の日本人が忘れかけてしまっている美しい特質や美徳は改めて巡らせて押さえておいてもバチは当たらないのではないのだろうか。

日本は地震や天候による震災被害が多い国であるがゆえに、そのたびに助け合い、協力し、平和を持って調和を保ってきた。これは競争しないことに価値を置き、ただそこに居ることに存在価値を見出してきた日本人の本来の美徳が活かされているに他ならない。

一瞬一瞬、今ここを丁寧に生きる中今という価値観の中で、この瞬間が理想の世界と平和に過ごす古来の日本人の姿と重ねあわさずにはいられない。

というのも、これが世界基準だったら、奪い合い自分さえ良ければいい精神が当たり前に行われがちなのだから。

優しくて平和なDNAの記憶を受け継いだ日本人の本当の良さを思い出してほしい。。

この約80年の間に西洋の理想や哲学が台頭し相手を打ち負かすことが豊かさとされ、それに翻弄されてきた時代は限界に達してきていて、行き場のないところまで来ている。

世界は腐敗が噴き出す一方で、愛や平和、言葉と思考が意識となりそれが現実を作ることに価値を求める方向へ

更にこれから益々急速にシフトしていくことであろう。

そうした大変化の時こそ、本来であれば日本人が歴史の中で築いた美徳が生きてくるはずなのである。

補い修復し、その本質の良さを今を生きる私達に順応させる準備をするためには、

思考する人間力と自己責任で行動できる力を養うこと、基礎知識をつけ現実認識できる人を育てる国を目指すこと。

自分の頭で考える力をつけるには感じて気づく感性がまず必要であることに目覚めること。

感謝することと崇め奉ることは違うということをはっきりさせること。

そして依存して背負わせてしまうのは結果としては実は時に失礼なことでもあったりするということ。

こうした調和を保ちながら個を保つこれからを築いていくことを諦めてはいけないと切に願っている。