命を振り子にかけられる現実を抱えながらも弱音に溺れず

揺るがず前進し続けてくれました。

命せめぎ合う中で我が身にそれが実際下ってこない限りその渦中の事など誰も知る由もない。

私はただ傍らで見守り支えるだけしかできなかった。

2022年 5月5日午前2時2分

我が相方 眠るように

永眠致しました。

彼が望んだ通りの

微笑んでいる様にも見えた穏やかな最期の瞬間でした。

彼の病が発覚したのは2019年10月。その時私は客船にいました。この年は世界一周ツアーを皮切りに2隻をまたいでほぼ一年近く船上で過ごし演奏をしていました。癌治療に入る前に一刻も早く陸に戻り側にいてあげなければと、居ても立っても居られず、クリスマスに終わる筈だった演奏契約を特別に10月末で打ち切らせてもらい下船、帰国の途に着きました。

ステージ4の食道癌と彼が余命宣告を受けた時、半年の命、よく持って1年と主治医から告げられました。その後、脳に転移して事態は更に難色となり、これ以上手の施しようはない状態と言われた時でさえも息吹き返す様に何度も復活劇をみせてくれました。その間どんなに辛くても職務を遂行し沢山の功績を残しました。そうこうしているうちに治療を始めて3年目を迎えた今年でした。

今の日本の医学では完治はあり得ないという彼の病状。でもそれを認め受け入れて見えたことは、哀しみ・苦しみと同時に喜び・楽しみもいっしょくたの締め日提示された限定時間は毎日が大感謝祭だということ。当たり前には来ない未来。良いも悪いもひっくるめての人生。極限を越したらあとはすべてに癒されたんです。

そしてどんな時も、音楽に心救われました。

音楽に平和があり全身全霊向けられたことが彼を支える上で大きな助けとなりました。

長くて複雑な道のり。

それは想像を遥かに超えた大冒険でした。

どうか 安らかにお眠り下さい。

最後になりましたが

生前お世話になりました関係者皆さまには故人に代わって厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。