俯瞰を持つ習慣
自分のことであればあるほど俯瞰(ふかん)してからでないと行動しない。最近では心がけになっている。他人の目の様に客観視して自分のことを淡々と見て判断すると周囲で起こっていることの真相が解明しやすくなったり不快な出来事を回避しやすくなる。これまでこの心がけにどれだけ救われたか数知れない。
大袈裟かもしれないがそれを信じて判断すると物事の展開に救われたりするから、そのからくりはいつしか物事の表と裏両面を見てから決める自分の癖にすらなった。
物事を一歩引いて見ていると一時的に過酷な状況、かなりイケてないシチュエーションにさらされたとしても次は?と腹を括れる余裕が生またりする。そうなればしめたもの。全体像を眺めながら見る景色は爽快という日も増えたりするから生きていることは捨てたものじゃないとも思えてくる。リアルな人生はゲームのようだしバクチのようだ。
一生は永遠に続かない。いつか終わりが誰にでも来るのだから有限なことに敏感でありたい。
「時は金なり」という言葉の通り無駄な時間の使い方ほどもったいないことはない。
今年に入り更に加速する情勢や世界の様変わりに私達は翻弄されそうになることも多いしその真っ只中な最中の今。
せめてできることと言えば、明快な時間の使い方をしてそれに傾注する揺るがない術を磨いていくこと。それってとても大切なことだと思います。混沌とした状況の中でも気持ちだけは心が健康で元気でいられるのか?
自分を俯瞰する習慣はこれからも続きます。。。
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