早いもので今日5月5日は亡き相方の一周忌。生前の彼の生きざまが走馬灯のように駆け巡ります。

もしも日本の童話で彼の一生を例えるとしたら…?
それは花咲か爺さんの物語がピッタリだったかもしれないなぁと思ったりしてしまいました。

だって、本当に真っ直ぐで、正しいと思ったことは正しいと、それ以上もそれ以下もなくきっぱり主張をして何事においても子供みたいに無邪気にそう思ったらそれを通してシンプルに生きた人。正義感を持って生きる情熱を惜しむことなく他に提供して尽くすことをつら抜いた人。彼にはそんな言葉が当てはまる。本人もその辺りの後悔はないはずと断言したい。こちらも時折ひやひやしながらもただじっと見守ったつもりなので寂しくも清々しく今日を迎えることができています。

彼の闘病生活が2019年々より始まり、それを追うように世間で言うコロナ渦が重なった時期でもありました。一型糖尿病で末期癌患者であった彼は当初からコロナに罹患するリスクが高いとなぜか括られたものの、本人はそれを聞き入れることなく、ポリシーとして未接種でした。PCR検査20回を受けてもいずれも陰性、マスクも日本の法律の規制にはないことなので義務ではないはずと医療機関以外の着用は拒否、でも幸いなのか何なのか風邪らしきものを二人とも一度も拾うことなく世間の荒波とは真反対の流れの中、おかげさまで結局普通に生活が成り立ち癌治療だけに専念することが出来ました。
ただここで言えることとして、病気が数値に出る以前の末病という段階のところで、風邪やらウイルスらしきものを体に取り入れないように気をつける生活を試みました。自己免疫力をつける為に予防できることは徹底的に取り組みました。食べるタイミングは大事。そして季節によって食べたいもの、避けるべきもの、体調によっても食べるべきものと避けるべきものが体質によってもまた異なる。それを見極め努めていたゆえの結果ということは誤解を生まない為にもここで記しておきます。

彼の哲学から受けた恩恵の深さや達成感を今更ながら感じています。いまだに彼の口癖が私の頭の中で鳴り響きます。
物事を多面的に考察して情報力豊富に判断する大切さや、権力からの指示に全信頼を置く前にまずは自分自身の考えを持つこと、自分自身の考えを信頼して行動する癖をつけること。上っ面ではなく物事は、その外側に真実がある。確かに私の習慣となり身になって役立つ今があります。

まだまだない、足りない自分というものを思い知らされることともなった一人で歩み続けたこの一年。彼が残してくれた知恵の財産を「僕が去ったらそれを哀しむのではなく祝ってほしい」という遺言通り「祝う」という言葉に置き換えて今日を迎えようと思います。